生物といえばふだん私たちの目に触れて一番身近にあるのが虫,昆虫。
(もちろん私たち人間=ヒト以外でね)
特に日本は欧米諸国と比べれば生息する昆虫の種類の豊富さでは圧倒的で
虫の声を楽しんだり子どもが虫取りを楽しんだりと
虫と遊ぶ文化がある国ということで,大人になっても昆虫採集,
収集を趣味とする人が多いよね。
今回は,そんな虫(おもに昆虫)を趣味の対象にする
いわゆる「虫屋」さんの本について−
日本経済新聞社の雑誌に連載されたエッセーをまとめたもので,とても気軽に読める1冊です。「虫屋の居所はまさに『虫の居所』で決まる。だから偉くはなれない」「だからといってめちゃくちゃなわけではない。機能重視,優先順位が明瞭なだけ」といった「虫屋」の心理・思考についての分析から始まって,ベトナムやアフリカへの虫採り旅行の体験記,はては(掲載誌が『日経エコロジー』だけに)環境問題や経済・宗教学まで話が広がっていきます。
※タイトルとは裏腹に脳については全然書かれていません。
脳トレ,脳年齢など今「脳」ブームだから
書名に入れたら売れるって考えたのねきっとw「世間では虫好きは世間知らずだと思っているが,
見ようによっては世間の人が人生知らず」
「ミリアム・ロスチャイルド曰く『自然史とは大学で教える
科目のようなものではない。生き方である』」
「仏教が生き残る世界には自然も生き残っている」
「飛行機から見ているとまったく違う。
欧州の丘陵がヤツデの葉状だとすれば日本の丘陵はシダの葉である」
「ヒトは荒地棲の動物である。ヒトが雨林に棲むときは,
そこを「荒地」に変えてしまう。
文明とはひたすら荒れ地を作るものである」
「アメリカでは誠心誠意タバコを吸い麻薬を吸うらしい。
だから禁煙がむやみに厳しくなるのに違いない」
「私は甲虫が好きな分だけ私はクモが嫌いなのである」
「病院に行ってごらんなさい。今では必ず検査をされる。
その結果は1週間後に出る。その1週間の間に
脳卒中や心筋梗塞で死んだら検査の結果とは何か」さすが一線で長く活躍してきた科学者,
鋭い目の付け所だと感心したり感銘を受けたり,
なんとなく感じていた世の中の矛盾を
ズバリ言葉で表現してくれたとスッキリしたり,
いわゆる世間の“常識”に全くとらわれない発想や理論,
そしてお気楽マイペースな持論展開に,
自分の固定概念を考え直してみたくなったり
「その例えはただの屁理屈では?」とつっこんだり
読む人がそれぞれ違ったフレーズに目が止まると思うし
それぞれの感性で,1人の天才の考えに触れて楽しむ
ことができる,そんな1冊だと思います。そして,ほとんどの回で環境問題についての見解が書かれていて
多少話題が飛躍しても話のつながりはすっきりしてるし
題材といい構成といい
大学の入試問題にも引用されそうな
エッセーが満載だなと思ってしまいました。
けれど,
「なぜ種が絶滅してはいけないのであろうか。
真面目にこのことを考えはじめるといろいろはっきりしない点が出てくる。
私の頭だけがはっきりしていないのか,一般に世間でもそうなのか
それもわからない」とも書いている本だから,
単純に「自然を守ることが大事」という結論を導かせるつもりで
引用しようとしたら一筋縄ではいかないかもしれないですね。
養老先生の本は,本職は医学者だけれど「永遠の昆虫少年」の目を持つ
著者が,若き頃の思い出と今の昆虫採集の活動を通じて地球環境について
語るという内容だけれど,
次に,これはまさに「虫屋」の本。
物心がついたころから虫が大好きで野山を駈け回り図鑑を丸暗記するほど読みふけりながら育ち「標本屋」として生計を立てている著者が虫の標本を売買するマーケットや収集家の世界について案内し,彼がこれまでに出会った数々のすごい人々を紹介するというもの。
子どもの頃からの夢をかなえるべく,大学在学中にフィリピンに蝶の採集旅行に出かけたのを皮切りに,激しい気候や風土病,政情不安に襲われて何度も命の危険にさらされながらも数々の新種(新亜種)発見を重ねてきた著者自身もすごいが,彼が敬愛する昆虫採集の先輩たちの業績もすごい。
ハニングトンウスバシロチョウという高山のチョウについて,それまで知られている生息地とはかけ離れたチベットの真ん中,標高5千m級の高山帯まで遠征して捕獲に成功,約72年ぶりの新生息地発見を成し遂げた反町康司氏。
きれいな標本を得るには野生のチョウを捕まえるよりも食草を栽培して幼虫から飼い羽化させる方が効率的なのだが,その飼育で誕生した成虫どうしを交配して何代も飼育を重ねていく「累代飼育」,さらには「強制交配」の手法を編み出して異なる種類のチョウどうしをかけ合わせて全く新しい数々のハイブリッドチョウを生みだしてしまった大野義昭氏。
「インド・オーストラリア区」のアゲハチョウ約240種類をほぼ完全網羅,数々の「異常型」を含む3万点以上のコレクションを保有する収集家の森島忠行氏や博物館に寄贈した標本だけで27万点という大収集家の江田茂氏…。
富豪たちが金に糸目をかけず珍蝶や美麗種を求めてきたことから発展したヨーロッパ博物学の歴史についての一章もすごく読み応えがあって圧巻。「虫屋」どうしはムシ談議となると標本屋と客との間でも立場を忘れ時を忘れて話はつきないというけれど,商売柄というかさすがマニアというか,すごく勉強されているんだなぁというその一端が垣間見える1冊だな。
この2冊は,お父さん世代までの「昆虫少年」というか,
「昆虫採集=標本にすること」という認識の人たちの話という感じで
ちょっとだけギャップを感じるところもあったりするけど
次は,生きたまま昆虫を採取して飼育する先生と生徒たちの本。
埼玉県の私立自由の森学園中・高等学校の先生だった“ゲッチョ”こと盛口満さん(その後沖縄の珊瑚舎スコーレ講師,フリーライター)が,虫のことなら何でも知っていると教え子たちから持ち込まれた数々の疑問に向き合う中で生まれた数々の発見について語られている本です。
ちょっと虫について知っている人なら常識のようなことについても,自分の目で確かめてみなければ本当に知っていることにはならないと,ミノムシの成虫がガであることを実際に飼育して3年がかりでつきとめたり,ウシのフンを持ち帰って日本にフン球を転がす「フンコロガシ」がいるのかダイコクコガネなどのフン虫を飼育観察してみたり(結論からいうと,日本にもフンコロガシはマメダルマコガネという虫が普通にたくさんいるのですが,ある理由によりなかなか人の目につかずその存在は知られずにいたのですね)。
先生が生徒のみんなから寄せられる疑問や興味にまっこうから取り組んで,生徒のみんなも一緒になって採集や飼育に協力したり,卒業後も珍しい虫を見つけると送ってきて「新種では?」と“鑑定”を依頼したりする先生と生徒たちの関係がとってもほほえましかったです。「ゴキブリは何でも食べる」「1匹見つけたら20匹はいる」「殺しても死なない」などの噂をたしかめるため,採集して飼って確かめてみようとするゴキブリ班が女の子たちを中心に結成されたという話は驚きでした。
「え?!ハエの子ってウジなの?」「テントウムシって2つ星は毒があるって聞いたよ」「カタツムリの殻を取ったらナメクジになるの?」「『虫=昆虫』じゃないよね?」「なんでやわらかいイモムシが皮を脱いだだけで固い蛹になるの?」「セミが地中にいるのは何年?」「フンコロガシってウンコを食べてウンコをするんだから,お腹の中でどこから自分のウンコになるんだろう?」などなどなど…生徒から先生に寄せられる疑問や考えはとてもさまざまな発想のものばかりで,先生の持っている知識や認識とのギャップからまた新たな発見が生まれるという,生き物の話なのに人と人とのつながりが重要な意味を持っていて面白かったですね。
ゲッチョ先生は,スズメガをハチドリと思い込んだりテントウムシに幼虫はいないと思っているような,まるっきり見当外れのような数々の誤りに遭遇するにつけて,虫のことを全く知らないから誤解が生まれるのではなくある程度のことを知っていてそこから予測することによって間違えてしまうのだと結論づけていて,なるほどと思わせました。昆虫の一生は,人の前から姿を消したり姿を変える“断続と変化”の連続で,セミの幼虫のように確かめようがなかったり,同じ仲間の昆虫でも種類によってそのパターンが違うためにそれを断片的につなぎ合わせてしまうために間違えてしまったりする(テントウムシは冬に大集団をつくって越冬することが知られているがそれは主にナミテントウで,ナナホシテントウは逆に夏眠をする。夏に草の根元からナナホシテントウを見つけ,「テントウムシの幼虫は土の中にいる」と誤解するなど)んですね。
昆虫の生態から生物に関する言葉や文化にいたるまで,先生は広い分野について,古今東西数々の文献にあたり,その道の第一人者の知見を調べ掘り下げていますから,この本で取り上げられたミノムシ,ゴキブリ,セミやフンコロガシなどについての記述はほんとうに読み応えがありますよ。
この本について本屋で今入手するのは困難ですけど,盛口“ゲッチョ”先生のほかの著書についても読んでいってみたいですね。
※現在入手可能の本としては
『教えてゲッチョ先生!昆虫の?が!になる本』(山と溪谷社 2002/02)が本書と近い内容のようです。
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